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志野

数ある全国の陶器の文化に多大な影響を与えたと言われる美濃焼!
実はこれ、昭和のはじめに野焼き陶片が発見されるまでは瀬戸焼の影に隠れていた焼き物でした。

陶芸家であり人間国宝でもある荒川豊蔵氏が、昭和の初め頃に大萱(おおがや)の牟田洞窯(むたぼらがま)で絵志野の陶片を発見したことが、現在の美濃焼を確固たる存在にしたと言われています。
それまでは志野をはじめとする茶陶の多くが瀬戸で焼かれていたとされていました。
現在では志野や織部が美濃焼を代表する焼き物であるというのは常識的に知られていることですが、この発見以前の名残として瀬戸黒や黄瀬戸の名称が残っているのです。

さて、この茶陶の歴史をくつがえす出来事となった主役の志野ですが、志野とはどのような焼き物でしょうか。
志野は蛙目粘土の一種で粘りが弱く、焼きあがると軽くなるもぐさ土で焼かれており、全国の陶器の中で初めて絵が描けたものです。
志野の特徴のひとつであるゆず肌は白い長石釉によってでき、器表面の細かい穴が温かい雰囲気をかもし出します。
また白い肌のところどころに素地から自然ににじみ出ている緋色が、器全体をあたたかくやわらかな雰囲気で包み込むようです。

多くの茶人に愛されてきた志野の中でも、絵志野と鼠志野は代表的な一品です。
絵志野とは志野独特の白いゆず肌の器の表面に、鉄絵と呼ばれる文様を鉄釉の一種、鬼板絵の具で描いたものです。
鼠志野とは、おなじ志野でも絵志野とは趣が異なるもので、器の表面全体に鬼板絵の具を溶かした泥漿(でいしょう)で鉄化粧をほどこし、ヘラなどで模様を掻き起こしたものです。

全国の陶器を代表する美濃焼を語る上で、志野は欠かせない存在なのです。

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